舞妓さんの闇が報じられない・放置される理由は?伝統文化として残る訳も

舞妓さんの下駄 時事

「舞妓さんの闇」が話題となっています。

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元舞妓さんであった女性が業界で起こっていた闇をツイートし、その意外さにネットは騒然しています。

現代にはあまりにも残酷すぎる内容が、なぜ今の今まで放置されていたのでしょうか。

今回は、なぜ舞妓さんの闇が報じられない状況が続いているのかについて理由を調査してみました。

また、残酷な状況がありながらも伝統文化として残っているわけについて調査してみました。

【この記事でわかること】
✔舞妓さんの闇が報じられない・放置される理由
✔舞妓さんの闇が伝統文化として残る訳

舞妓さんの闇が報じられない・放置される理由

こちらが話題のツイートです。

ツイートされた Kiyohaさんはすでに舞妓さんを引退されていますが、その実態の闇の深さを公開されています。

内容としては他にも

・毎年後輩の誰かが自○未遂していた
・経験のない女性が5000万で売られそうになった(舞妓さんには1円も入らない)
・逃げないように携帯はもたせてもらえない
などの被害があったことを告白されています。
あまりの衝撃にネットは騒然。
このような状況がなぜ放置されているのか、それは
置家は職業学校であり舞妓さんは労働者ではなくそこの訓練生なのでセーフ
と判断されていたという情報が見つかりました。
また、実は過去にも何度も通報していたりと京都労働監督署は把握していたとのこと。
文面

引用元:Twitter

このような会話のやり取りがされたことを Kiyohaさんは告白されています。

京都の文化を守るために、無理やりこじつけとしてセーフとしてきたことがうかがえますね。




舞妓さんの闇が伝統文化として残る訳

舞妓さんの下駄

なぜ舞妓さんの業界には裏の闇がありながら、舞妓さんがこうも伝統文化として続いてきたのでしょうか。それは

舞妓さんの表向きに見える姿がとても煌びやかで、過去から受け継いできた日本の伝統文化であったから
であることが予想されます。
舞妓さんの起源は約300年前の江戸時代でした。
そのころからお料理やお酒を振るまい、三味線を披露する文化が多くの人を虜とし楽しまれていました。
そのころから表と裏の闇の顔があったことは予想されますが、表の顔の部分がとても煌びやかで伝統的な印象があります。
そのGAPにより文化を途絶えさせてしまうことを恐れて、闇の文化にテコ入れができず今日この日まで迎えてきてしまったのではないでしょうか。
舞妓・芸妓は、今から約300年前の江戸時代に、京都の八坂神社(当時は祇園社)のある東山周辺の、神社仏閣へ参詣する人や街道を旅する人にお茶をふるまった水茶屋の茶立女(ちゃたておんな)に起源がある。水茶屋も初めはお茶や団子を提供していたものに、やがて酒や料理が加わり、その店で働く彼女達が、歌舞伎芝居を真似て三味線や舞踊を披露するようになった。現在も京都の祇園を中心とした花街で厳しいしきたりの下で活躍している。京都市内で、普通に見かける舞妓は、観光客の扮した舞妓変身である。本職の舞妓が日中、花街や花街以外を出歩くことは珍しく、京都府民・京都市民でも、本物の舞妓を見かけることはほとんどない。引用元:ウィキペディア

 

実際に、舞妓さんに対するイメージはとてもポジティブな印象を持たれている方が多く、今回の事態には意外だという声がかなり多く上がっています。

 

しかし一方で「お水の職業と似ていると思っていた」という声も見受けられました。

もともと舞妓さん自体、お水の職業要素が含まれていることは知っていたよ、というかたも多かったようです。

舞妓さんというお仕事がどこまでのサービスが正式な内容なのか定かではありませんが、かなりグレーな立ち位置であったのかもしれませんね。

予想だにせず、舞妓さんになった方は特にそのGAPを強く感じてしまうでしょう。



まとめ

今回は舞妓さんの闇がなぜ公に報じられないのか、放置されるのかについて情報をまとめてきました。

今後の舞妓さんの業界がどう変わっていくのか、気になるところです。

また、他にも舞妓さんのこの暴露自体が嘘なのでは?という声も上がっているようでした。

こちらは別記事にてまとめていますのでそちらをご覧ください。

 

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